さようならピンクコート

架空の人物、ピーター・ピンクコートの日常を綴るブログです。

孤立 isoration

孤立 isoration

 

僕は孤立している。

僕は孤立しているのだろう。

僕は孤立しているのだろうか

僕は自分が孤立してるのかはわからない。

だから誰かにそれを訪ねようとしても、だれも周りにいないから、孤立しているのかはわからない。もしかしたら孤立してないのかもしれない。

孤立しているんだろか。孤立とは何なのだろうか。それも聞く人がいない。わからないことは人に聞け。よく言われている言葉だが、そばに誰もいないときにはどうしようもないということも、一緒に言ってほしいのだけれども、やはりそれを言う人もそばにいない

 

そばに誰もいないことが孤立なのだろうか

そばに誰かがいても孤立にはならないのだろうか

その人が自分に何も関心をもっていない場合も孤立にはならないのだろうか

自分が街の中にいるとして、そこには沢山の人がいて、だけれども誰も一人でいる自分の素性を知ってはいない。

そんな状況は孤立といえないのではないか。人間が実体としてそこに存在しているから。いえないからよかったとは思わない。孤立はしていなくても、それはもしかしたら完全な孤立なのかもしれないから。

たとえ叫んだとしても、彼らは僕を通り過ぎるのだろう。彼らはあるいは驚いて、その場から逃げるのだろう。僕は孤立へ恐怖で叫びを止めずに叫びを続けるのだろう。そして、さらに感じるのだ。孤立を、完全なる孤立を!

 

僕に関して耳に入れていただきたいことがある。

僕は今日、誰とも話さなかった。そして昨日もそうだった。そして明日も同じなんだろう。でも安心してくれ。僕はもうその状況にすっかり慣れている。

孤立しているのに、いつでも話あいてがいるのだ。その相手とはもうわかっただろう自分自身だ。この僕自身に話しかけることによって、孤立を解消している。それは解消とはいわない、ただのお戯れかと思うかもしれない。しかし、本当の自分の性質、癖、特徴を知り抜いているのは、自分だけなんだ。

話「相手」とはいえないのかもしれないけれども、彼は僕の中での長い付き合いなんだ。だから僕の思うように応えてくれる。最高の友達なんだ。なんと時には叱ってくれたり、思いもよらないような意見でさえ提案してくれる。なんて素晴らしいんだ。理想の相手がみつかったんだ。わかるだろう僕は孤立していないんだ。孤立していないんだ。普通の一般的な常識人なんだ。孤立をするということは、社会への裏切りなんだ。

 

日本国憲法では、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」が認められている。

僕はまだ生きたいと思うし、自由はほしいし、そして幸せになりたい。彼はそのために必要な必然的義務の存在なのだから、彼、そして僕を責めないでほしい。僕の気持ちをわかってほしいだなんて思わない。だから、君は消えてくれ。君は誰なんだ。もしかしたら、もしかしたら君は「彼」なのではないのだろうか応えてくれ。応えて。応えてくれ。お願いだ。お願いだよ。僕の彼が君ではないことを。人称をこれ以上増やしたくないんだ。

 

こうなんだ。いつもこうなんだ。他人は自分ではない。

わかってはいたけれども。

だから、僕は孤立を選んだんだ。

孤立は恥であるとは認知しているとはいえ、僕はあえてそれを選んだ。

誰も必要としないからだ。それは「彼」がいたことで矛盾となっている。だから君は現れたんだろう。しかし、君によって「彼」は消えたんだよ。君が新しい彼なんだ。

君こそが僕の救いなんだよ。ほんとうの救いが見えてきたんだ。ああ。神よ。ありがとう。

 

なんで笑っているんだ?

君が彼でも、君でもないと?

お前は誰なんだ?

教えてくれ

 

そして誰もいなくなった

僕は孤立している。明日も孤立している。その次も。その次も。