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おやすみピンクコート

架空の人物、ピーター・ピンクコートの日常を綴るブログです。

高校吹奏楽班時代の思い出 その2「双子の兄弟」

僕の吹奏楽班(長野の高校は部じゃなくて班なのです。中学は部でした。)時代の、一番の思い出というか、懐かしく印象深い思い出の人たちがいます。

それは1つ下の後輩です。

 

2年生になって、3年生がいなくなって、1年生が入ってきます。それは学年でもそうですが、班活でもそうです。社会人だと1年毎に新卒が入ってきたりということはありますが、1年毎に人がいなくなる、ということはないんだなと考えると、学校って面白いなと思います。学校は嫌いでしたが。

 

吹奏楽班にも、1年生がきっと入ってきます。「同じ中学の◯◯ちゃんが入ってくれるってー」なんていう声もあり、「どんな人達が入ってくるんだろう」と考えていました。そして、男子はくるのか。吹奏楽班は男子はとても少なくて、僕の学年は僕ともう一人だけ。3年生は2人とか。あとは全員女子です。もしかしたら一人もいないかも、なんて思ってました(3年の時の1年は女子だけだったかも・・・)

 

しかし、新学期始まってそうそうの放課後の吹奏楽班室で、なんとなくダラダラしていると、入り口に男の子2人が入ってきました。「あれまさか」と思うと、二人が自己紹介を始めました「ハジメマシテ!山浦たつきです」「ハジメマシテ!山浦あつきです」「吹奏楽班に入りたいです。よろしくお願いします!」

とのことで、ビックリしました。誰かが早速ツッコミました。「あれ、同じ苗字。新入生ってことは・・・」「そうです。双子です。」

双子の人は小中学生でいたので、初めてではないので違和感はなかったのですが、まさか揃って吹奏楽班に入ってくれるなんて!

顔は似ていない双子でした。でもなんとなく通じるものがある感じでした。「たっくん」が兄で「あっくん」が弟です。「たっくん」はどこか天然ボケで、「あっくん」ツッコミ役みたいな感じです。「あっくん」が「たっくん」を「アニキ」と呼ぶのを、今でも覚えています。

双子の兄弟ってどんな感じなんだろう。絶対自分がなれないものです。でも、ある日突然知らない人が現れて「実は貴方と私は双子の兄弟です」なんてことは・・ないですよね。

「たっくん」は中学の頃からのチューバを担当して、「あっくん」はトランペット。

僕はユーフォニウムを担当していたので、チューバとは同じ低音チームということになりました。ということで、この日以降、たっくんと常に一緒に行動するようになりました。この時期はクラスに友達がいなかったので><、高校生での初のともだちになりました。この後、クラスでも友達はできましたよ!安心してくださいね。あと例によって女子とはいつも仲良しでしたw

 

たっくんとあっくん、そして他の後輩の男子部員も加わって、上田市内を自転車でいろいろ探索しました。琴光堂(というCDや楽器屋)やあんかけ焼きそば(上田の名物です)のお店、マクドナルド(もうないです)、学校の近くにあったケンタッキー(たぶんもうないです)ほていや(デパートです。もうないです)などなど。懐かしいです。><

3年になると、クラスメイトと仲良くなって同じようなことがありましたが、この時にはじめて「ともだち(後輩だけど)と自転車で上田を探索」ということをしたような気がします。孤独ですねえ。でも、この日からは楽しかったです。前回に書いたような波乱もありましたが、「楽しい青春の思い出」が今でも残っています。

 

2人と3人でよく班室ではなした覚えがあります。なぜか兄弟げんかみたいな言い合いになってしまうこともあったけど、仲良しの2人でした。僕には女の姉妹しかいなかったので、なんだか弟が2人もできたみたいで、嬉しかったのです。

2人とも優しい性格でした。僕のことを受け入れてくれた。そして同じ「低音チーム」だったたっくんとは、ほんとうにいつも一緒にいました。中学の時に1年先輩の「金井先輩」と一緒にいたけれど高校は別れてしまったので、代わりといってはなんですが、また大切な友達ができて嬉しかった。もちろんあっくんとも仲良しでした。

 

一番覚えているのが、当時僕が上田で住んでいた「家」に二人が来たことです。

 

一戸建てで、田んぼの真ん中にあるけど、田んぼにはつながっていない、その一戸だけが別の道にある、変な家でした。そして横に神社もありました。なんだかすごいところです。あまりに変なところなので、3年生になって、同じ帰り道の野球部のクラスメイトに「あそこが僕のいえだよ」と指をさして教えてあげると「あそこおまえんちなのか!なんだあそこと思ってた」と言われてしまうような、ところでした。

でも、家はきれいでした!僕は使わなかったけど、キレイな和室があったりして。

姉と妹と3人で一時期暮らしていました。しかし、2人は僕と違ってアクティブなので、あまり家にいなかった、僕は学校以外ずっと家にいた気がします。

 

自分の部屋に、アップライトのピアノと、クラビノーバという電子ピアノを部屋においても、まだ余裕のある洋室に住んでました。そしてこたつもありました!

今、考えると夢のようです。

 

そして、そこに山浦兄弟が泊まりに来ました!

ともだち(後輩ですが)が泊まりにくるなんて、初めてでしたので緊張しました。

それまでに誰かが遊びにくる、ということはあったかもしれません。

二人とも結構家からは遠いのに、来てくれました。その家は高校から結構距離がありました。二人の家もかなりあると思います。

僕の家までは坂も上り下りあって。でも若いからか僕は平気でした。バス通学で2時間よりはぜんぜんマシだったから。

スーパーファミコンしたり、あとは僕がピアノを弾いたりした記憶があります。

一番、覚えているのが、僕が朝ごはんを作って振る舞ったのですが、その時の味噌汁を二人が飲んで「すごく美味しいです!」「まじでうまいです!」と絶賛してくれたのです!「ほんと〜うれしいなあ」と思った時の幸福感、今でも忘れません。

人にご飯を作ったなんて、この時が最後になったかもしれません。今は毎日作ってますが、一人で食べていて、たまにお味噌汁を作った時はこの時のことを思い出してしまいます。

 

吹奏楽班を引退した時、最後の「定期演奏会」の時は、1年、2年の「低音チーム」のみんなが僕に花束を渡してくれました。

僕はもう、ボロボロ泣いてしまいました。ありがとうありがとう。って。

「嬉し涙」を流したのは、あの時が最初で最後だったかもしれません。

 

その後、なんと「あっくん」と再会することができました。しかも東京で。

彼は東京で立派な公務員的な仕事に就いていました。もちろん変わらなくて、「たっくん」は長野で働いているとのことでした。新宿で、ご飯を食べました。

そして僕の状況を伝えました。そして「音楽はもうやってない」と伝えて「なんだか以外です。高木さんが音楽をやらないなんて」と言われたのが記憶に残っています。

 

その後、連絡を取り合うことはなく、疎遠になってしまいました。

あまりに美しすぎる思い出なので、忘れられないのですが

思い出は思い出のままにしておくのがいい、のかもしれません。

 

クラシック音楽のブログ」なのに、なんか私的な思い出ばなしですみません><

今後なんとかしますー

ではおやすみやまうらくん