おやすみピンクコート

架空の人物、ピーター・ピンクコートの日常を綴るブログです。

ピアノは自分との対話

さいきんピアノを弾いていません。

なぜか、ピアノが僕を呼んでいない気がするからです。

そんなことはありえないのですが、

要するに弾きたくない という自分がいるのです。

 

さきほど昔弾いたショパンの「ノクターンNO9.2」を弾いてみました。

中学生の時、ピアノの発表会で弾いた曲です。

沢山練習したので暗譜はできているのですが、やはり間違えてしまいます。

「おやすみプーランク」ということで、プーランクの「バラード第1番」の楽譜をコンビニでプリントアウトしたのですが、全く弾けません。

そんなに難しい曲ではないのに。

 

即興演奏も、「まともにクラシックの曲も弾けないのに」と思ってしまい、難しい状況です。

そしてまた、音楽を聴けなくなってしまいました。

iPhoneMacをスピーカーにつなげたり、イヤフォンやヘッドフォンなので音楽を聴くこともできなくなった自分がここにいます。

 

きけば、気が楽になるかもしれないのに。

自分から逃げています。

 

最近はずっとこんな感じで、自己嫌悪です。

 

チャイコフスキーラフマニノフも精神を一時期病んでいた。

しかし、クラシックの作曲家の大家で自殺を選んだ人はいないのです。

ポピュラー音楽ではたくさんいるのですが。

つまり、クラシックに関わっていれば、死なない。自殺はしない。

そういうことなんだと思います。

 

急に自殺なんて書いてすみません。

それに僕はチャイコフスキーでもラフマニノフでも、クラシック音楽の大家でも

ありません。普通の一般人なのです。

 

でも状況はもしかしたらよくなるかもしれません。

光が見えるかもしれない

僕の気持ちを受け止めてくれるのは、ピアノだけです。

だからピアノを弾いて、自分と対話しようと思います。

https://www.instagram.com/p/BQkEyK8Deab/

もしかしたら今の生活が終わるかもしれないそれは望んだことだけどまだ決まらないどの道、孤独はつづくかもしれない孤独がこんなに辛いなんて慣れていたはずなのにはやく脱したいのにいまは恐怖の方が強い人生は恐怖 それに打ち勝たなければ ひな鳥の鳴き声は止まず絶えなく続く命が僕を置き去って飛び立って羽ばたいていく羽根のない鳥は 行き場をなくして地を這い蹲り、先が見えずに足は止まったま

 

ひな鳥の鳴き声は止まず 絶えなく

その命が僕を置き去って 飛び立って羽ばたいていく

羽のない鳥は 行き場をなくして

地を這い回り 先が見えずに足はとまったまま

依田窪南部中学校吹奏楽部で1年先輩だった作曲家の「金井勇さん」と連絡が取りたいです

みなさん、こんにちは

今日は、どうしてもここに書いて、ふたたび繋がりたい「中学校の吹奏楽の先輩」のことを書きます。

その方は作曲家の金井勇さんです。

 

金井勇

こちらにプロフィールがあります。。

2005年に「朝日作曲賞」を受賞されて、

「風の密度」という曲が2006年の全日本吹奏楽コンクールで課題曲になりました。


2006年度課題曲(Ⅴ) 風の密度

 

凄いことです。一緒に吹奏楽部にいた人が作った曲が、吹奏楽コンクールの課題曲に選ばれるなんて。

 

金井先輩は一年先輩で、同じ小学校なので、おたがい存在は知っていましたが、仲良くなったのは僕が中学校に入学してからです。

最初から話のウマがあって、僕の言うことに物凄く「アハハハ」と大爆笑をしてくれて、本当に仲が良くて、部活帰りに帰りもバスが途中まで一緒だったので、仲良くバスを待って話をしたり。

あとは、吹奏楽吹奏楽についても二人でマニアックな情報交換をしたり、CDを貸し借りしたり。

僕が「コンクールの課題曲っぽいマーチを作ってみたよー」なんて言ってラフな楽譜を書いて見せて、ピアノでちょっと弾いたりしたりしました。タイトルは覚えてます。

「マーチ・魔法雲」なぜかタイトルを言ったら爆笑してました!なんでだろう?おかしいかな?でも僕もおかしくなって一緒に笑ってました。

 

金井先輩とは高校とは別になってしまいました。金井先輩は「上田染谷丘高等学校」というところに入学して、僕もそこに入りたかったのですが、勉強をさぼるようになってしまったので、そこは諦めて一つランクが下の「上田東高校」に入りました。

僕と同じく金井先輩もひとりぐらしを上田市内ではじめていたので、ご実家に連絡をして、連絡先を教えてもらって、また再会しました。

上田東と上田染谷は一つランクが違いますが、染谷から見ると、東はかなり下のように見られていたような気がして、ちょっと距離を感じることもありましたが、基本的に仲良くしました。

そして、上京後、金井先輩は普通の大学に進学していて、オーケストラ部に入って活躍していた、ということを新宿で再会して、天ぷらの「つな八」で食事をしました。そこの天ぷらのおいしさに「東京ってやっぱりすごいな」と思いました。あと、当時オウム真理教の事件があったので、盛り上がってもしかしたら二人で青山の「オウムビル」を観に行ったかもしれません><

 

そんなに仲良かったのに、疎遠になってしまいました。

なぜかはわかりません。

 

しかし、ある時に、金井先輩が音楽大学に進学して、課題曲になる曲を作曲していた。という事実を知りました。正直、ショックでした。中学校でスコアを書いていたり、作曲をしていた僕が、普通の社会人になって、金井先輩がその位置にいる。

嫉妬とかはありません。本当に仲良かったので、その記憶しかないし、誇らしく思います。本当です。

僕は今、社会人ではなく、音楽活動もしていないので、恥ずかしいのですが、中学生の時の一番の親友に再会したい。その思いが強いです。

このはてなブログで、「もう会えない」と思っていた短大時代の大切な仲間と再会することができました。

金井先輩はフェイスブックがあり、メッセージを出しましたが、ほとんどアクセスをしていないらしく、返信は来ません。

しかし、最近Twitterで「金井勇」と検索したところ、今も活躍をされている、高名な音楽家の方とツーショットとの写真が乗っていました。

金井先輩は生きている。僕も生きているということを伝えたい。

その方に直接メッセージを送ればいいのですが、私は無名の一般人です。

もしかしたら金井先輩にとってそういう行為は不利益になるかもしれないと、Twitterのトップにするだけで留めています。

 今は東京でご活躍だと思います。僕は長野で前とは違うところに住んでいます。

だから会うのは難しいかもしれないけど、連絡だけでも取りたいです。

 

僕はずっと待ってます!

どなたか情報をお持ちでしたら下記メールアドレスまで

よろしくお願いします。

ikitaakashi2016@gmail.com

さわやかまえむき、こと高木です。

それではよろしくお願いいたします。

吹奏楽の思い出 中学校編3「シンフォニックソング」

思い出の写真

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(今の依田窪南部中学校の画像です。当時のクソボロな校舎の写真は見つかりませんでした><)

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校歌です。アレンジしたはずですが曲を覚えてません><

長門小学校の校歌は覚えてます。歌詞が斬新なんです。「ルンルンルン風ーほら光の中をやってくる おーおーはずむステップ サウス バイイースト!」みたいな。校舎もモダンで、校歌もモダンな田舎の小学校にびっくりしました。小3で名古屋から引っ越したので。

 なんと非公認のbotがありました。それをこうしてブログで書いている。

当時の自分に教えてあげたいです。

3年のコンクール

コンクールが終わり、その後は普通は「アンサンブルコンテスト」に参加することになったりしますが、中学校は小さかったためか、参加することはありませんでした。

その代わりに、「来年はもっとがんばろう」みたいな感じで、コンクールの曲を速めに選ぶことになりました。

そして、僕が部長になりました。この頃には校歌の吹奏楽バージョンを最アレンジしたり、それを集会で演奏する時に指揮をしたり、かなり調子に乗り始めた時期でしたw

 

コンクールの曲は、例によって猿田先生が選びますが、この時はいくつか候補があって、それを聴いて投票できめるというものでした。

なんせあんまりレベルの高くない学校です。過去のコンクール演奏曲を見ても(演奏した曲の書いてあるコンクールの賞状が貼ってありました)どれもショボいのばっかり。スウェアリンジェン(有名ですよね!)とか、よくてA・リードとか。冒険心の無い曲ばかり。

おそらくそれらの曲も、「民主主義的な結論」で決まっていたのだと思います。要するに、わかりやすい曲。さわやかな曲。誰でもできそうな曲。

そういう曲が選ばれやすい、女は単純(大多数が女性なので)なんだ。ということを高校生まで痛感しました。

この時候補曲として用意されたのは今となっては「それはないんじゃないの」というような曲ばかりでした。まずはフローラン・シュミットの「ディオニソスの祭り」この曲はスコア通りに演奏すると100名必要とか、そういう曲です。こちらは全員で35名とか、その世界です。

あとはネリベルの「2つの交響的断章」や大栗裕の「仮面幻想」なんかも入ってました。そして、ある曲が入っていて、その曲に決まりました。

その曲は、ロバート・リュセル・ベネット作曲の「シンフォニックソング」です。

この3楽章のみの演奏でした。

www.youtube.com

この曲です。この曲が一番、明るかった。から選曲されたのだと思います。

「怪しくない」曲です。女子は現代っぽい曲を聴くとすぐ「あやしい」と言っていやがります。ほんと単純です。「ほんと処女っていやだな」とか思ってました><ごめんなさい。

それは単に女子が多いから、みんなそう言ってた、というわけではないと思います。高校3年間もみんなそんな感じでした。

しかし、この曲は怪しくないけど、かなり、変な曲です。変です。

ここをきいてください

https://youtu.be/CWc01qQDzyc?t=93

元気にハイスピードで曲が進んできて、3拍子になってフルートがホワホワホワとフレーズを奏でたとたんに、「ブオーーーーー」とトランペットとトロンボーンがミュートをつけて意味不明な不況和音を吹きます!それはもう1回あり、その時はトロンボーンはミュートを素早く外して(ここが大変でした)グリッサンドで変な音ぶおおおーんと鳴らします。

ここの部分、客席が少し笑いが起きてしまうことがありました。うわさで「曲がふざけすぎている」とか、どっかの先生が言ってたらしいです。あと「南中はまた変な曲やってる」とか言われてたらしいです。僕は「ざまーみろ」と思いましたね。女子達に。おまえがら明るいからってこういう曲を選んだんだからね〜

 

僕はこの曲は好きです。すごくすごく練習して、がんばりました。

みんなもなんだかんだでがんばりました。ユーフォニウムが難しくいソロがあって、大変そうで、女の子だったのですが、真面目に真面目に何度も練習してたのを覚えてます。

そして、コンクール地区大会当日。会場はまた上田六中でした。他の学校の練習の音が聴こえてきます。「あれ僕達の方がいけてるかも」と思ってしまいました!今年も・・いけるかもしれない!自信がありました。変な曲でもどうどうとやろうよ!と言って、顰蹙を買ったのを覚えてます。

そして・・・もちのろんで金賞でした。そして県大会代表です!正直「負けるきがしない」と思ってました。ほんと調子乗ってましたね〜まあ幸せな時代ですね。こんな感じで全国大会まで行って金賞とった学校なんて、どんなに頑張っているんだろう。とますます吹奏楽に興味を持つ自分がいました。

 

そして、県大会・・・。この時のことは、当日のことはよく覚えていません。

前年と同じ、長野県民文化会館。大ホール。出番は去年とはちがう普通の順番。

そして演奏が終わりました。大きなミスはみんななかった。

良い結果が出ればいい。去年は座席で見ていた表彰式に、自分が登ります。ユーフォニウムの子が副部長でした。今、思い出しました。副部長の子と一緒に。ステージにのぼる。自分の番がくる。賞を受け取るその前に渡す人がマイクで話します。「依田窪南部中学校、ゴールド!金賞!」僕は嬉しくて飛び上がってしまいました。そして怒られました「ちゃんと取りなさい」と。

しかし、「県代表」にはなれませんでした。残念でした。

 

こうして僕の中学校の吹奏楽部は終わりました・・・。

が、エピソードの時系列が明らかではないのですがもう一つ事件がありました。

事件というほどではないのですが。過去に「さわやかトラウマ日記」で書いたことです。

あと例の先輩の件もろもろ、次回にします。

あー懐かしい思い出最高!

それではおやすみ!ロバート・リュセル・ベネット!

吹奏楽部の思い出 中学校編2「呪文と踊り」

みなさんこんばんわ!

まえむきです!

今日、ちょっと僕うつなんですーっていうか

毎日うつなんですけど><

自分を励ますため、あとは楽しい過去を思い出して自分を癒やすために

ここを更新します!

 

それでですねー中学2年になった時に、「猿田先生」という怖いけど凄い人が入ってきました。新任でここが最初の赴任だったようです。ちなみに養護教室の担当でした。

猿田先生の特徴は「吹奏楽オタク」だった僕にいろんなことを教えてくれました。

たとえば、知らなかった曲。吹奏楽の定番の曲、例えば・・フローラン・シュミットの「ディオニソスの祭り」とか、あとはネリベルの「2つの交響的断章」とか。あとはホルストの「吹奏楽のための組曲」とかですね

 

ディオニソスの祭り」は本当に凄い曲ですね。伝説的に難しい曲です。フローラン・シュミットレベルの人が吹奏楽に曲を書くことがあまりなかったんですよね。フローラン・シュミットは僕はピアノ曲が好きなんです。wikipediaにも載っていないですが。NAXOSで昔いろいろ聴いて、「やはりフランス人ってセンスがいい」と思いました。

 

それと、大きな出会いがありました。それは日本の作曲家「大栗裕」です。

大栗裕 - Wikipedia

もー日本の吹奏楽といえば大栗裕。大栗裕といえば日本の吹奏楽です!

それくらいの存在感ですよね。当時は。最近はどうだかわかりません。

「神話」「大阪俗謡による幻想曲」「仮面幻想」などなど。

「神話」はなぜかスコアとレコードが部室にあったので、スコアをちょっと拝借してレコードからダビングしたテープを家で譜面を見ながら聴いていました。

コンクールで演奏されるものは、カットされたもの。大幅にカットされている、とそこで気づきました。というか殆どの曲がそうです。

そして「神話」でカットされている、最後の一旦静かになる場面の前の盛り上がる部分、あそこが一番イイのに!とコンクールの演奏を聴くたびに思ってしまいます。

猿田先生はそういうのがあまり好きじゃない、と言ってました。アレンジものも。

 

そういうわけで、コンクールの自由曲「呪文と踊り」をやることになりました。

この曲には、ある特徴があります。他の今までの楽曲にないような。

それは「打楽器」です。今までに使ったこともないような打楽器がこの曲で使われます。

まずひとつが「テンプルブロック」

テンプル・ブロック - Wikipedia

要するに、「木魚」ですよ!ナンミョーホーれーポクポクの

実際のものは、5つのブロックに別れていてそれを叩くのです。

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こんな感じです。これをタカタカタン タカタンタンタン と延々と鳴らし続けるのです。当時「呪文と踊り」をやっている学校はあまりなくて、他の学校の人に「なんだあれは」と言われていたと聴きました。

それに、もう1つの変な打楽器があります。

それはウィップです。

むち (楽器) - Wikipedia

そう、ムチです。鞭。

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これをバシン!と叩くのです。それで鞭の音を表現する。

曲の中で一箇所だけ、このウィップがソロになるところがあります。

段々曲が静まっていくなか・・バシツッと一発!そして曲は盛り上がりを見せて

ウィップもバシバシ叩かれて、狂乱も末に曲は終わります。

バシ!のところの動画を見つけたのでよかったらみてください。ここだけウィップがアップになっている動画がなかなかなかったのですが、ありました

https://youtu.be/Wj4H1Y3PG5w?t=383

いいですねー!バシ!ここで寝てる人が起きるようなイメージでやれと、先生が仰っていたような気がします。ひどい><でもほんとに演奏中にそのようなことがあったと聴きました。ひどいw

 

この「呪文と踊り」は打楽器奏者が多数必要です。木魚と鞭だけではなく、ギロ、ティンバレス、マラカスなど。ラテンの曲のような取り揃えですが、ダークで怪しい曲です。「呪文と踊り」ですから。実際に打楽器奏者が足らず、クラリネットの人がマラカスを振ったりしました。降るといっても、下に向けてひたすら音を鳴らすような感じです。あとクラベスもクラリネットの人が兼任してましたね。

曲はわかりやすく最初は「呪文」のようなフルートの低音で始まり、徐々に楽器が加わります。そして「踊り」へ。

一度聞いたらわすられないような、印象的なフレーズです。そこへ木魚達が絡んで。

 

木管楽器は今までにないスキル、細かい難しい音符を吹くことが要求されました。あくまで自分達の学校では、です。

そしてコンクール。東信地区大会!いよいよ来ました。会場は覚えてないけど、去年と同じ上田6中だったかもしれません。木魚の登場に少しざわめいたような。

そして演奏は終了。僕は「バス・トロンボーン」でした。

フルートの低音から始まってそこからすごく難しくて失敗しているのですが、僕の出番は最後に「ボーー」と伸ばすだけなので、ハラハラ見守るだけでした。

そして演奏終了!「まあまあかな」といった感じでした。

万年地区大会銀賞でした。が、この時は正直狙っていました。小編成としては当時他の学校がやっていない曲でしたし、すごーく練習しました。他の学校の演奏も去年よりも「負けてない!」と思うようになってました。

そして結果は金賞!そして県大会代表です!

コンクールは「金賞」のあとに「上の大会への代表」が呼ばれます。上位の学校が選ばれます。「金賞」でも代表になれない場合もあります。それが「ダメ金」です。

「よかった金賞!しかもダメ金じゃない」

 

吹奏楽、やったらしいじゃん」とクラスメイトに言われるようになりました。

県大会に出る。田舎の中学校では珍しいことです。しかも万年銀賞だったのに。

「でもあんまうまくなかったよね」とか言われました。壮行会みたいなので、コンクール前に全校の前で演奏したのです。

「まあ確かにそうかも」と思いました。まだまだでした。

 

そして県大会。今は名前の変わった「長野県県民文化会館」で県大会です。おそらく、当時の長野では一番大きいホールです。そこに出られるなんて!うれしー。

しかし、出番は1番最初でした。不利!不利なんです。コンクールで1番は。死を意味します!

演奏はあまりよくなかったせいか・・やはり銀賞でした。

この時は実況録音を高いお金を出して買った思い出があります。どこいっちゃんたんだろ>< 

 

銀賞となりましたが、僕にはまだ来年がありました。

僕はその時はまだ決まってなかったけど、おそらく部長になるだろうと推測してました。僕以外にやれる人がいなかったから。そしてみんなを引っ張って、今年以上の結果を出そう!と思いました。

 

ああーーー青春の思い出。

浸りました浸りました〜みんなありがとうー

先輩のことはまた今度、になるかもしれません><

この辺で止めておきます!

おやすみジョン・バーンズ・チャンス(呪文と踊りの作曲者です)

www.youtube.com

 

 

【吹奏楽】吹奏楽の思い出 小、中学生編

今日は吹奏楽のことを書きたいと思います。

僕の吹奏楽人生のスタートは小学生の時です。小学校は5年生から「クラブ活動」が始まります。学校には「金管クラブ」みたいなのがあって、まあ、吹奏楽みたいなクラブがありました。僕が5年生になった時に、吹奏楽に興味はもちろんあったのですが、なぜか「演劇クラブ」に入った記憶があります。

なぜ「演劇クラブ」かというと漫画「ガラスの仮面」に当時、今もハマっていて影響を受けたからです。「北島マヤみたいに演じてみたい!女優になりたい」と思っていたのです!

「演劇クラブ」は女性ばかりでした。その後も「女性ばかり」のシュチュエーションを散々味わったのですが、今思うとこれが最初でした。ちなみに姉と妹がいるので、「女性ばかり」に慣れていたといえば、そうかもしれません。

学芸会的なところでなにか芝居をやった記憶がありますが、あまり良い思い出は無いです。恥ずかしかった。なので6年生の時は「金管クラブ」に入り直しました。

金管クラブ」では、「なんだかよくわからない楽器」ということでトロンボーンを選択しました。ピアノを弾いていて、譜面も読めたので、余裕だった気がします。

 

そして中学校に入学し、すぐに放課後の音楽室に行って「入部したい」と伝えました。中学1年の時は、2年や3年生が、大人に見えます。「なんかこわい」と思い最初はビビっていました。

ぼくは迷わず「トロンボーン」を志望しました。トロンボーンは3年に1人、2人に1人だけだったので、歡迎されました。

1年生の部員はほとんどが女子で男子は僕と「まーさ」というあだ名のトランペットの子2人でした。

女子の子たちは、とても仲良くなって、同じクラスの子たちもいたのでみんなでキャーキャーワーワー、毎日騒いで騒いで楽しかったです。

ちなみに中学校は「依田窪南部中学校」です。長野県の今は上田市、当時は武石村というところにあって、僕は長和町の出身です。

クラスは4クラス。小さな学校で、ぼろい校舎が特徴の学校でした。本当にぼろかった。雨が降ると廊下が膨らむんですよ。で、乗ると校舎がユサユサ揺れるんです。

みんなそれにのってユサユサして、先生に怒られたりして。でもそんな校舎ももう建て替えになりました。まあ、仕方ないですよね。暖房もストーブで、窓は「木」でした。サッシではなくて。その前の「長門小学校」は新しくてモダンな建物だったので、ギャップに苦しみました。

 

吹奏楽部は、50人もいなかったと思います。コンクールは最大35名の「小編成の部」にでました。1年生はもちろん、コンクールには出られません。しかし、なぜか僕は出られました。ある日呼ばれて「大太鼓」をやれと言われたのです。理由はわかりません。打楽器で大太鼓を担当する人が外されてしまったようです。それにしてもなんで素人の僕が。

コンクールの自由曲はA・リードの「パンチネルロ」でした

www.youtube.com

あーなつかしいですね!ていうか良い曲だな〜

万年地区大会銀賞の学校でした。この曲を演った時も銀賞。いま考えると結構難しい曲だし、演奏もそれほど悪くなかった気がするんですけどねー。

僕の大太鼓も結局よくわからなくて、「なんか大太鼓の音が大きかった」とコンクールで演奏を聞いていたメンバーに言われてショックでした。あんまり聴こえないようにひっそり叩いてつもりなのに。

 

3年生が引退すると、1年と2年だけになります。

そこらの辺りから、ある2年の先輩と仲良くなりました。

いろいろな吹奏楽の曲について、話したり、「全日本吹奏楽コンクール」の話をしたり、全国大会の音源を交換したり

あとはくだらない話で、いつも盛り上がって、僕の話で大爆笑してくれた。

あんなに気があった人はいない、と今でも思います。

 

その人の事はまた今度にします。

2年生になると、吹奏楽部に革命を起こす人が表れました。顧問は前と同じで「田口先生」という女性の方で、合唱が本業の人です。そして副顧問に新しい人がこの年から付きました。その人は「猿田先生」という人です。後に松本の中学校で顧問となり指揮をして、東海大会に出場したり、活躍された先生です。

この先生が入って、練習の仕方や、曲の選考など、今までと変わりました。それは2年生でもわかる明らかな違いです。

副顧問ですが、吹奏楽の知識が多いのでコンクールの選曲もこの先生の選択にまかされました。3年生の時はみんなで候補曲を聞いてその中から選んだ気がしますが、2年の時はこの曲に決まっていました。その曲はこの曲です。

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 この曲、有名ですよね?全日本でも演奏されたりして。

この曲については、また次回!

気になる先輩についても次回です><

どうもありがとう!

それではおやすみ猿田先生!

 

冬の日の「現実」 チャイコフスキー交響曲第1番「冬の日の幻想」

「今日から週末にかけて、雪が降りとても寒いらしい。

東京にちょっと雪が降って積もっただけで、大災害が起こったなようなニュースが一日中流れて、交通情報が常に表示されて「うざいなあ」と思っていた。東京にいる時は。

長野にいたら、どうなんだろうと思ったけど、やはり大雪を告げるニュースは流れる。全国ニュースだと、「八王子に少しだけ雪が降った」などと八王子駅前でわざわざ黒い幕を貼って小さい小さい氷の粒がついてるの実況したりするのを見て、「スケールが小さいな東京って」と思ったりする。

 

今日はこちらも雪です。

外出はできません。

 

ゆき あんまり見えないかなBGMはチャイコフスキーの交響曲第一番「冬の日の幻想」ですよ

まだ本降りではなさそう。でも日曜日まで振り続ける。

外出はできなくても、どこにも行けないから問題ないです。

食料も買ってきましたが、どうしても買い忘れるものがあって

それを補うために、自分でスイーツを作ったりします。

これは「みかんアイス」です。

https://www.instagram.com/p/BQFsdGzjt7E/

#今日のアイスアイス家にないし歩いて買いに行けないけどアイス食べたくてみかん凍らせたよおいしいな

「今日のアイス」

アイスが食べたいけど、無い。けど買いにいけないので、みかんを凍らせてアイス気分というもの。うーん「冬の日の幻想」的だ!「悲愴」かもしれないけど。

 

www.youtube.com

交響曲第1番 (チャイコフスキー) - Wikipedia

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チャイコフスキー交響曲第1番「冬の日の幻想」は、確か高校生の時に初めて聴いた覚えがある。しかもオーケストラの演奏ではなく、吹奏楽だった。

秋田の花輪高校が昔、この曲を「全日本吹奏楽コンクール」で演奏した録音のCDだった。コンクールは時間制限があるので、第1楽章だけ。7分くらい。結果は金賞だった。

でも、なんで吹奏楽コンクールでこの曲を選択したのか。吹奏楽でオーケストラの演奏をすることはあってもなぜこの曲を選択したのか。「冬の日の幻想」を他の団体が吹奏楽で演奏しているところがあったのかは知らない。はっきりいって第1楽章だけだと地味だと思う。

 

でも、僕はこの曲「第1楽章」が一番好きなのだ。

www.youtube.com

白鳥の湖」「くるみ割り人形」その他、「誰もが知ってるメロディ」を沢山もっているチャイコフスキーの中でも、あまり知られていない曲。しかし、この簡素、まあ言ってみれば地味なメロディがすごく好きだ。

チャイコフスキーの器楽の特徴として挙げられるのが常に「歌の音楽」ということであるとよく語られる。つねにメロディがそこにあり、それを廻りが盛りたてる。ポピュラーミュージックの走りのようなものだ。だからこそいわゆる「うるさ型」の評論家からは評価は当時高くなかった。しかし、大衆はその曲達の魅力の虜になり、大きな支持を集めた。いつしかあのおそロシアな政府まで味方につけることも出来た。

 

この「交響曲第1番」はそんな華々しい成功を収める前、26歳ごろ、モスクワ音楽院で講師をしていたころ。作品番号は13番。最後の「交響曲第6番”悲愴”は74番なので、かなり初期の曲と言ってもいいだろう。それだけに、後に見られた華やかさや、重苦しい苦悩も見えない。ロシアの「冬の日の幻想」だなんて。考えただけも寒いけれども、幻想が見えてしまう寒さだったのなら、耐えられるかもしれない。

 

第1主題はピアノ(小さい音)のフルートの主題から始まり、それが保たれたまま主題が展開され、間に旋律にストリングスが絡んでくる。チャイコフスキーらしい曲展開だ。平和な雰囲気。だけど寒さも感じる。

第1楽章と第2楽章には個別で表題がついている。第1楽章は「冬の旅の幻想」第2楽章は「陰気な土地、霧の土地」

言われてみれば第1楽章はつねにテンポが一定で、歩いていて景色がどんどん巡り、冬を感じているような曲に聴こえる。

ロシアはどれくらい寒いのだろうか。今日のモスクワの天気は最低気温マイナス13度。現在の気温はマイナス11度。「案外寒くないな」と正直思ってしまった。居住しているここ軽井沢、ではなく軽井沢の隣の市でも現在マイナス3度、最低気温はマイナス8度。この前は最低気温マイナス15度みたいな時もあった。

つまり今、冬の森の中にいる自分は、ロシアにいると等しい。

ごめんなさい。くだらないですね。

 

この第1楽章で「もっとも好きだけど地味なところがあって」それを強調するために

譜面と秒指定のURLを用意しました。

第2主題がはじまるクラリネットのところです。

https://youtu.be/ocIajFkPwyU?t=166

 

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 espressivoとあります「感情を込めて」とあります。結構難しいです。でもこのメロディは素晴らしいです。クラリネットのメロディが何らかの切ない感情を伝えてきてる気がします。さらにクラリネットからチェロに引き継がれて、高音でバイオリンが絡んで、あーチャイコフスキーだーって感じで感動する、素晴らしいところです。

 

冬は厳しいです。

東京では、大雪が滅多にない大雪が降った時は「冬は厳しい」と思いましたが、それは「たまにあったこと」なので、日頃の寒さも厳しかったですが、それは今となっては懐かしいことです。

長野に帰ってきて、一番思ったのは「寒い。冬が怖い」と、秋に思ったのです。「まさか冬でここで過ごすんだろうか」と、それだけで鬱になったりしました。

しかし、今ここにいる。ひとりで。雪を眺めて。チャイコフスキーの「冬の日の幻想」を大音響で聴いている。

そしてそれをダラダラと、でもなんか頑張って平日の朝からブログを書いている自分。

 

全て、幻想のような、よくわからない世界に自分がいる。

でもこれは幻想じゃない。現実だ。

交響曲第1番「冬の日の現実」なんて作ったらいいかもしれない。

 

この曲の第2楽章以降も、聴いてみたら第1楽章の平和の雰囲気を受けつつ、すこし「うつ」気味というか、と思ったらwikipediaを見たら26歳ころからチャイコフスキーうつ病を患っていたらしい。

彼の人物像というか人生には大いに興味がある。ネットではやはり限界がある。散々調べているけど、「チャイコフスキー」で検索をしても、指揮者の話とか、オーケストラの名演とか、そういうどーでもいい情報が多い。

だから本を読みたいのだけれど、図書館にはロシア音楽に関する本は、何もない。もちろんチャイコフスキーも。このブログは「楽曲主義」です。楽曲、作曲家が音楽の主役だと思います。NAXOSが「楽曲主義」を宣言して、それに共感して、気づいた次第です。

 

自分で買えばいいのだけれど。早く仕事を再開したい。

 

第4楽章は「冬の日の幻想」を飛び越えて、力強い勇壮な交響曲のフィナーレ。

ロシア民謡を元に、吹き荒れる雪吹雪。雪吹雪ではないかもしれないけど、僕の目の前は雪吹雪。僕はチャイコフスキーが好きです。それにはある理由がありますが、ここで書く勇気はまだありません。彼が僕に近い人だった、とだけ言っておきましょう。

 

ということで、ここでおわりにします

おやすみ、チャイコフスキー(各項目ごとに主役の人の名前をシメにします。それが無いときはおやすみプーランク

 

ドビュッシー 交響組曲「春」特別な体験

もう夜は深くなりつつありますが、今日はなんだか気分が高まっていて

「毎日更新する」とかいって昨日さぼったような気がするので、ちゃんと更新します。

 

今日はドビュッシーの曲、「交響組曲 春」を紹介します。

www.youtube.com

春 (ドビュッシー) - Wikipedia

管弦楽の曲で2楽章、16分程度の曲です。

ドビュッシー管弦楽の曲といえば「交響詩 海」「牧神の午後への前奏曲」が有名で、この曲はあまり知られていないようです。僕も知りませんでした。

それは僕は生のオーケストラで聴いて、あまりに素晴らしい曲だとその時は感動したのですが、実際に音源で聴いた覚えがなかったので、今日聴き直したところ、「やっぱり凄い良い曲だードビュッシーの曲で一番いいかもしれない!」と太字にするほど、感動したので、それを伝えたくて書かせて頂きます。

 

この曲を始めて聴いたのは、それはローマのコンサートです。

ローマなんて1回だけ行っただけです。そこで観たコンサートのこと。そんな大事な思い出だから、旅行記に書きました。それは「さわやかトラウマ一人旅」に残っています。もしよかったら御覧ください。

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かつて学校で弾いた曲「エステ荘の噴水」の「エステ荘」を見学したあとに、「春の祭典」題されたコンサートに行きました。当日は1月3日ごろ。あまりコンサート自体が開催されておらず、唯一行けたのはこれとオペラ座での「ドン・キホーテ」のバレエ公演のみでした。

この日は「春の祭典」という題が付けられて、メイン・プログラムはストラヴィンスキーの「春の祭典」です。指揮はヴァシリー・ペトレンコ、オーケストラは国立ローマ聖チェチーリア音楽院ナクソスあたりでよく見る名前です。

会場はオーディトリウム•パルコ•デラ•ムジカ。固有名詞として略すのが難しい。英語のサイトから当日のローマのチケットを探して予約して、事前決済してプリントアウトを会社でして><会場に向かいました。

 

この日の1曲めがドビュッシーの「交響組曲 春」でした。

まず、そのオーケストラの響き、素晴らしいです。これが本場のホールの音なんだ。

違いがわかります。少なくとも、NHKホールよりはよく響きます。

そして始まったその曲、フルートの低音とハープと弦楽、まるで「牧神〜」のよう。

 

この曲、事前にwikipediaで学習してドビュッシーがこの曲を作曲したのはローマで留学中だったのこと。その後オーケストラ符が楽譜が消失したり、いろいろあったのですが、本人によってピアノ2台版から再作曲されたという、なんだか不運な曲です。

ドビュッシーが作曲したその地で、演奏を聴いている」と思うと、なんだか感慨深いです。しかもその日の午前には、リストが滞在していて、曲を作ったその場所にいたのです。なんて素晴らしい。良い体験をしたと心から思います。

 

続いていくメロディは恐ろしいほどドビュッシー的で、あまりにも彼らしく、人によってはつまらない曲だと思うかもしれません。しかし私はそのメロディにひたすら感激し、ひたすら夢の世界、春の世界に酔いました。その日は真冬の真っ只中でしたが、午前中はあったかで春そのものでした。今は春なんだよ。幸福な春なんだよ。とドビュッシーが表してくれているようでした。

 

この日はこの曲に合唱が参加していました。男女混声の大人数のフルの合唱です。「この後第9でもやるのかな」と日本人的な発想をしてしまいましたが、この曲の2楽章と次のプログラム「ラフマニノフ作曲 バリトンと合唱、管弦楽のためのカンタータ《春》Op.20」のための参加でした。

しかし、この曲には本来は合唱は必須では無いはず。元からある編曲に特別なアレンジが加えられたようです。

それが素晴らしかった。無限の国を漂うな1楽章の次に、妖精たちが踊り出すような2楽章に合唱が加えられる。躍動感が増していき、輝きも増していく。

あまりの美しさに、自分の集中力が高まる中、最後は舞曲風に軽やかに展開していき、階段をかけ登っていくように、全体を支配する主題も表れて、ハープが鳴り響き、そのまま最後まで曲は走り続けます。

曲が終わった瞬間、会場は「ブラボー」の声で包まれました。僕も叫びたかったけど、叫びませんでしたが、力いっぱいの拍手をしました。

感動しました。

正直、他の曲の演奏は「普通」といった感じで、それはこの曲の演奏以下ということであって「ローマ」で聴いているという気持ちは高まったままでした。

 

この曲は他のドビュッシーの有名な楽曲に劣らない、素晴らしい曲だと思います。

是非、聴いてみてください。素晴らしい世界が見えないところに広がります。

 

ローマの旅は、自分に取って素晴らしい旅でした。たった5泊で出来る限りの芸術や観光をしたと思います。もしクソヒマでしたら、僕のローマ・イスタンブール旅行記をごみていただければ嬉しいです。

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ここまで読んでくれてありがとうございます。

それではおやすみ、プーランク