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おやすみプーランク

クラシック音楽に関するレビュー、雑談などのブログです!

七年前にピアノを弾いた動画です

どこにあるのか、不明でしたが、自分のブログにリンクが貼ってありました。

maemuki.hatenablog.com

2010年に、家で電子ピアノで弾いたピアソラの「Adios nonino」です。

おそらく、最後に譜面である曲で初めて弾いた曲で、一番むずかしい曲がこれです。

 

今は、この譜面もあるのですが、この時のように弾けません。

同じ電子ピアノです。この時は、東京の新宿区の家でした。

よく覚えています。

 

今は、遠く離れたところで、確かに弾いた動画が残っていてそれを見ている。

後ろには、その電子ピアノがある。

なんだか、複雑です。

 

でも、ぼくはふたたび立ち上がりたいです。

夢をもういちどみたい。

ピアニストなんて、お畏れたことではありません。

でも、パスワードの再発行に必要な「質問」で

「小さい頃の夢は?」とあり、「ピアニスト」と入力してしまいました。

小さいの頃の夢は、たしかにそうだったのかもしれません。

でも、それは自分にはできなかった。でも夢は夢。小さい頃の夢だったの事実です。

 

結局、ぼくは音楽も何も、社会人としても

何ものこらなかった。のこせなかった。

 

なにもないからこそ、立ち上がらなければいけない。

 

自分が味わってきたもの、それをヒトに伝えたい。

音楽を通して。

そういう思いだけは、まだ残っています。

 

臆病で弱気ですが、なんとか立ち上がりたい。

 

過去の自分の演奏に、励まされてしまいました。

彼の演奏は、けっこう良いと思うのです。

この頃、会社は良いところで働いてましたが、本当は凄く悩んでいて、その会社をやめたこと。それがきっかけで人生につまづいてしまった。

 

それを思い出すと、普通に聴こえないのです。

 

恥ずかしいけど、これも自分の生きた証なんだと。

痛感させられます。

 

恥ずかしいけど、もっと自分の生きた証を残したい。

そう思います。

七年まえの自分、ありがとう。

 

ベートーヴェン ピアノソナタ第21番「ワルトシュタイン」

本日のここまでのアクセス数は「1」

 

ちょっとショックです。

さぼりすぎました・・・

ここのところうつで、うつばかりで、あまりブログを更新していなくて

そして、引っ越しにより、もしかしたらしばらくブログを更新できないかもしれません。

 

でもここは、本来「ひっそり」したものを意識していました。

アクセス数など、問題にしていないのです。本当は。

でも「1」は哀しいなー

 

やっぱり更新しないと。

 

僕は最近ベートヴェンのピアノソナタ21番「ワルトシュタイン」が好きです。

この曲はむかしから好きで、少し挑戦してみたりしましたが、やはり無理でした。

 

なんかゆっくり弾けば、なんとかなるのですが、やはりゆっくりではこの曲は映えない。焦りすぎるくらいに駆け抜けた方がいいと思うのです。

 

そんな中、第3楽章のある一部分に、すごく心を惹かれました。

youtu.be


youtu.be

f:id:maemuki:20170310223710j:plain

 

この部分です。

地味なところですが、すごく惹かれます。そして、弾けます!

ここを何度も何度も弾くのです。ちょっとアレンジしたりして。

せつないけど、力強い、そんなフレーズです。

 

この部分だけを取り出して、アレンジしたりして、曲にしたりするかもしれません。

 

新しい家には電子ピアノを持っていく予定です。

「ピアノ練習室」は無いのですが、もしかしたら市の施設のホールの練習室を借りられるかもしれないです。

 

どのみち、がんばります。

僕は音楽が好きだから。絶望的な人生でも、捨てないです。音楽を。

 

ここまで読んでくれてありがとう。

おやすみ。ルードヴィッヒ!

【吹奏楽】高校3年生の時に「全国高等学校総合文化祭」で愛媛にいった思い出

はああ・・・

うつです。

このブログは僕の癒やしなのです〜

はあ・・

 

ということでまたまた吹奏楽班の思い出です。

とうとつに思い出したというか、wikipediaで調べてなんとかたどりついたのですが

高校三年生の時に「全国高等学校総合文化祭」に長野県代表の吹奏楽部として、出演しました!

全国高等学校総合文化祭 - Wikipedia

こんな名前だったなんて忘れてました!

でも確かに行ったのです!しかも吹奏楽の「長野県代表」として!

こちらは万年地区大会銀賞のショボ学校なのに、なんでー?って感じですが。

この時は顧問が変わっていて「上田高校」という地域で一番の学校から来た先生に変わって、その先生のコネ、というか単なる「持ち回り」で役が回ってきたようです。

夏休みまっさかりのその日程、コンクールも地区大会で終了して><ちょうどヒマになるはずの時期でしたが・・

 

しかも新しい先生はへそまがりで、「俺は指揮しないよ」と言い出すしまつ。

ということは、僕がやるしかありません。うひょー

「まあいいか」ということで、定期演奏会で演奏する予定だったムソグルスキーの「展覧会の絵」から数曲を演ることになりました。

展覧会の絵」は難しい曲です。「プロムナード」が有名ですよね。それと、あとは「バーバヤーガの小屋〜キエフの大門」をこの時はやった記憶があります。

演奏会の時はもう少し色んな曲をやりました。「古城」とか「トゥイルリー」とか。

 

「プロムナード」は出だしのトランペットが印象的な曲です。

が、「目立つトランペットはやはり3年の先輩が」ということで僕と唯一の男性だったトランペット、部長だった彼が担当になるのですが、ちょっと言いづらいのですが、ちょっと下手くそでかならず音を外します。練習からダメなんですけど、彼には強いことはあまりいえず(気が弱い)演奏もいまいちまとまらないまま、旅立ちの日が来ました。

「旅立ちの日」というと大袈裟かもしれませんが、愛媛ですよ!長野から愛媛!しかもバス!バスで愛媛!長野から名古屋まで行くのも大変なのに!今考えると信じられないです〜

しかも、演奏団体が48都道府県から来ているので、プログラムもキツキツで、聴いてるヒマも、リハーサルのヒマもない。どうしよう。

 

朝早くから長野を出発して、夜に愛媛についた記憶があります。

そして宿泊です!気分は修学旅行です〜 高校の修学旅行は2年だったので、もう3年だったので「もう1回修学旅行だ〜」と内心喜んでいました。

そして、ホテルの部屋は大部屋で、男子全員(7人くらいかな)同じ部屋。

布団を引いて・・・そのまま・・・寝るはずがありません!

なんだかんだで大騒ぎ。僕は呆れて、一人で寝たかもしれません。

 

よくじつ、皆さん寝不足でボロボロの様子・・・

そして会場の「愛媛県民文化会館」に向かいます。リハーサルが楽屋みたいなところであったのかないのか、覚えてません!

しかし、演奏順が来て、ステージに立った途端、ビビったのです!

このホール、メチャクチャでかい!!3階席まであるーーー

長野で一番大きい「長野県民文化会館」でさえ2階までです!しかも高校では県大会に行けなかったので出たことなかった。

 

そしてはじまった、展覧会の絵・・プロムナード。。。

いきなりとまって。。。

その後はよく覚えてないです。。。

トラウマになりました。

 

その後の演奏が、全国大会の常連みたいな凄い学校で、聴こえてくる演奏のレベルが違いすぎて、泣きたくなりました。

 

傷心を癒やすため、ではなく元から組まれていた予定である遊園地に行きました。

そこは今では生まれ変わったけど、カルト的に語り継がれる遊園地「レオマ・ワールド」です!

ニューレオマワールド - Wikipedia

今もB級遊園地の扱いのようですが、当時はほんとに変なところでした。

ディズニーランドが「ミッキーマウス」を中心に組み立てられているのに対して、レオマワールドは「レオマくん」中心に世界が出来ています!「レオマくん」がどんな感じだったのか、または当時の様子を書いたホームページもどこかにあったのですが、今は見当たらないです。

とにかくわけがわからない「っていうかレオマくんってなんだよ」「っていうかなんだよここ」みたいな感じで一日中、突っ込みまくってました!楽しかったです!

http://www.newreomaworld.com/

今はわりとまともになったみたいですが「園内ガイド」がPDFでめちゃくちゃ重いです〜ちなみに香川の丸亀市にあるところです。帰り道に寄ったんですね。

 

その後、個人的に松山にぶらり旅をしたんです。オトナになってから。

LLCで松山空港までスカッととんで。

でも、僕はその時「はじめての愛媛だー」と思っていたのです。

すっかり忘れていた・・・。

愛媛で松山城にいったり、みかんかき氷(うまかった)を食べたり、変な洞窟寺にいったり、「スーパー銭湯付きのホテル」たかのこの湯にとまったりして楽しかったのですが、ほんともうすっかり忘れてました。

 

「そういえば・・・」と東京に帰って思い返しました!

恥ずかしい・・・

忘れてしまうことは仕方ないけど、楽しい思い出はなるべく忘れたくないですよね。

もしかしたら、まだ忘れている楽しいことがあるのかも!?

なーんてね

というわけで、おやすみムソグルスキー!

 

究極のリア充音楽 メンデルスゾーン「弦楽8重奏曲」変ホ長調 Op.20

メンデルスゾーン

お金持ちっていいですよね〜

僕のうちなんて長野で新しい部屋を借りるお金が惜しいらしくて、月7000円くらいの公営住宅の抽選待ちなんです〜。今は別荘に一人ですんでいるんですけど、山過ぎて働けなくて、無職で貧乏なんですよ。

だから、「お金持ち」じゃなくて「普通に働いてお金もらってる人、金額問わず」がみんなうらやましいんですよ〜ほんと〜でも、Facebookとかを見るとみんな豊かな、心も豊かな生活を送ってるみたい。でうらやまし〜 

ちくしょ〜って感じですが、ひとまず、ここで僕が知りうる限りで「一番金持ちそうなところで育った音楽家メンデルスゾーン様の大好きな曲「弦楽8重奏曲」について紹介しますね〜

www.youtube.com

メンデルスゾーン様のご実家は超金持ちのようです。なんと家に神童フェリックスのために、常駐の弦楽オーケストラを置いていたとか。そして毎週お庭でコンサートが催されていたとか。フェリックスってメンデルスゾーンのことですよ。フェリックス・メンデルスゾーン。本名はもっと長いです。ヤーコプ・ルートヴィヒ・フェーリクス・メンデルスゾーン・バルトルディ。ヨーロッパ人って何なんでしょうかね。日本人で子供に心愛(ここあ)とかつけるのと、あんまりかわらないような気がしますけど。

 

そして音楽の才能もありながら、金持ちだったので音楽だけではなく様々な教育を受けて、その高い教養も語りづかれるところです。

そしてメンデルゾーンさまは「イケメン」でした。当時はもちろん写真なんてありません。しかし「肖像画」は数多く残されています。それは「金持ちだった」という証でもあります。でも、お年を召されてからの肖像画はわりとイケメン臭を消しています。

しかしモテモテだったようです。そりゃ〜そうだよな。

子供のころの肖像画は可愛かったです。まさに神童!

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そして、ヨーロッパの哀しい部分に悩まされてもいました。それは彼がユダヤ人の家系だということで辛い目にあったようです。最大の悲劇が起きる前に亡くなったことは幸運、というには悲しすぎますね。◯◯人だから差別とかまったくわからない。

小学生の時に長野に引っ越して、「部落差別」というものがあるのを知りました。「部落差別をやめよう」という教育、「同和教育」というものがあったのです。

僕はびっくりしました。「田舎だからそんなものがあったのか」と思ったのです。名古屋ではそんな教育はなかったから。でも全国的なものだったようで、今も根強く残っているとのこと。ほんと馬鹿だなって。人間って。そして長野県民って。田舎って哀しいあ、すみません話がそれました!差別反対!

 

この、「弦楽8重奏曲」は、彼が16歳の時、おそらく青春真っ盛りでモラトリアムなどなかっただろう時期の曲です。ちなみに「弦楽四重奏」の楽器がそのまま倍になった編成です。音は一緒なので弦楽四重奏でも演奏できます。なんで八重奏なのか。それは、やはり彼が金持ちだったからかもしれません!

しかし、この曲に漂う、幸福感は凄いです。きらめきクラシック!

出だしから、光溢れる未来と夢見る現実を生きる若者の美しいこころが表れています。

豊かな家、溢れる教育、向けられる美女からの熱い視線。うつくしい庭園。自分のためだけの生活する演奏者。毎週開かれる自分のための演奏会。それは僕の彼に対する妄想かもしれませんが、それでもすごすぎて、逆にうらやましいとも思えない。

しかし、そんな生活が浮かんで見えるような、素晴らしい曲です。

 

彼の人生は、偏見に苦しめられながらも、「ヴァイオリン協奏曲」をはじめ、数々の名曲を残し、指揮者としても忘れされていたバッハの「マタイ受難曲」を復活させるなど、音楽の歴史に名を残しました。そして過労のため、38歳で亡くなってしまいました。若すぎますね。僕より下でなくなるなんて。奥さんと子供もいたそうです。

 

ちなみに「四重奏」は「カルテット」ですが、「八重奏」はOctet 「オクテット」です。あまり弦楽八重奏の曲はないですね。木管とピアノが入ったりするものはありますが。

この曲はとにかく出だしの一発目のメロディが最高です。メンデルゾーンは、保守的でもありながらも、聴衆を意識した改革を行っていてこの曲にもその影響があります。

前奏がなく、メロディから始まる。超有名な「ヴァイオリン協奏曲」もそうでした。

www.youtube.com

普通「ヴァイオリン協奏曲」は長い長いオーケストラのイントロがあって、その後にヴァイオリンソロが入ってくる。ヴァイオリンに限らず、ピアノでもそうです。しかし、メンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲は開始2拍でいきなりはじまる。

この「弦楽八重奏曲」は1小節目からいきなりメロディがはじまります。このメロディが最高です\(^o^)/青春バンザイ〜って感じです。

いきなり、いきなり引きずり込まれます!メンデルスゾーン家の庭園のコンサートに・・・。良い曲です。

 

メンデルスゾーンはまだまだ聴いてない曲が沢山あるので、もっと勉強しまーす

あ〜金持ち〜

 

それではおやすみフェリックス!

高校吹奏楽班時代の思い出 その2「双子の兄弟」

僕の吹奏楽班(長野の高校は部じゃなくて班なのです。中学は部でした。)時代の、一番の思い出というか、懐かしく印象深い思い出の人たちがいます。

それは1つ下の後輩です。

 

2年生になって、3年生がいなくなって、1年生が入ってきます。それは学年でもそうですが、班活でもそうです。社会人だと1年毎に新卒が入ってきたりということはありますが、1年毎に人がいなくなる、ということはないんだなと考えると、学校って面白いなと思います。学校は嫌いでしたが。

 

吹奏楽班にも、1年生がきっと入ってきます。「同じ中学の◯◯ちゃんが入ってくれるってー」なんていう声もあり、「どんな人達が入ってくるんだろう」と考えていました。そして、男子はくるのか。吹奏楽班は男子はとても少なくて、僕の学年は僕ともう一人だけ。3年生は2人とか。あとは全員女子です。もしかしたら一人もいないかも、なんて思ってました(3年の時の1年は女子だけだったかも・・・)

 

しかし、新学期始まってそうそうの放課後の吹奏楽班室で、なんとなくダラダラしていると、入り口に男の子2人が入ってきました。「あれまさか」と思うと、二人が自己紹介を始めました「ハジメマシテ!山浦たつきです」「ハジメマシテ!山浦あつきです」「吹奏楽班に入りたいです。よろしくお願いします!」

とのことで、ビックリしました。誰かが早速ツッコミました。「あれ、同じ苗字。新入生ってことは・・・」「そうです。双子です。」

双子の人は小中学生でいたので、初めてではないので違和感はなかったのですが、まさか揃って吹奏楽班に入ってくれるなんて!

顔は似ていない双子でした。でもなんとなく通じるものがある感じでした。「たっくん」が兄で「あっくん」が弟です。「たっくん」はどこか天然ボケで、「あっくん」ツッコミ役みたいな感じです。「あっくん」が「たっくん」を「アニキ」と呼ぶのを、今でも覚えています。

双子の兄弟ってどんな感じなんだろう。絶対自分がなれないものです。でも、ある日突然知らない人が現れて「実は貴方と私は双子の兄弟です」なんてことは・・ないですよね。

「たっくん」は中学の頃からのチューバを担当して、「あっくん」はトランペット。

僕はユーフォニウムを担当していたので、チューバとは同じ低音チームということになりました。ということで、この日以降、たっくんと常に一緒に行動するようになりました。この時期はクラスに友達がいなかったので><、高校生での初のともだちになりました。この後、クラスでも友達はできましたよ!安心してくださいね。あと例によって女子とはいつも仲良しでしたw

 

たっくんとあっくん、そして他の後輩の男子部員も加わって、上田市内を自転車でいろいろ探索しました。琴光堂(というCDや楽器屋)やあんかけ焼きそば(上田の名物です)のお店、マクドナルド(もうないです)、学校の近くにあったケンタッキー(たぶんもうないです)ほていや(デパートです。もうないです)などなど。懐かしいです。><

3年になると、クラスメイトと仲良くなって同じようなことがありましたが、この時にはじめて「ともだち(後輩だけど)と自転車で上田を探索」ということをしたような気がします。孤独ですねえ。でも、この日からは楽しかったです。前回に書いたような波乱もありましたが、「楽しい青春の思い出」が今でも残っています。

 

2人と3人でよく班室ではなした覚えがあります。なぜか兄弟げんかみたいな言い合いになってしまうこともあったけど、仲良しの2人でした。僕には女の姉妹しかいなかったので、なんだか弟が2人もできたみたいで、嬉しかったのです。

2人とも優しい性格でした。僕のことを受け入れてくれた。そして同じ「低音チーム」だったたっくんとは、ほんとうにいつも一緒にいました。中学の時に1年先輩の「金井先輩」と一緒にいたけれど高校は別れてしまったので、代わりといってはなんですが、また大切な友達ができて嬉しかった。もちろんあっくんとも仲良しでした。

 

一番覚えているのが、当時僕が上田で住んでいた「家」に二人が来たことです。

 

一戸建てで、田んぼの真ん中にあるけど、田んぼにはつながっていない、その一戸だけが別の道にある、変な家でした。そして横に神社もありました。なんだかすごいところです。あまりに変なところなので、3年生になって、同じ帰り道の野球部のクラスメイトに「あそこが僕のいえだよ」と指をさして教えてあげると「あそこおまえんちなのか!なんだあそこと思ってた」と言われてしまうような、ところでした。

でも、家はきれいでした!僕は使わなかったけど、キレイな和室があったりして。

姉と妹と3人で一時期暮らしていました。しかし、2人は僕と違ってアクティブなので、あまり家にいなかった、僕は学校以外ずっと家にいた気がします。

 

自分の部屋に、アップライトのピアノと、クラビノーバという電子ピアノを部屋においても、まだ余裕のある洋室に住んでました。そしてこたつもありました!

今、考えると夢のようです。

 

そして、そこに山浦兄弟が泊まりに来ました!

ともだち(後輩ですが)が泊まりにくるなんて、初めてでしたので緊張しました。

それまでに誰かが遊びにくる、ということはあったかもしれません。

二人とも結構家からは遠いのに、来てくれました。その家は高校から結構距離がありました。二人の家もかなりあると思います。

僕の家までは坂も上り下りあって。でも若いからか僕は平気でした。バス通学で2時間よりはぜんぜんマシだったから。

スーパーファミコンしたり、あとは僕がピアノを弾いたりした記憶があります。

一番、覚えているのが、僕が朝ごはんを作って振る舞ったのですが、その時の味噌汁を二人が飲んで「すごく美味しいです!」「まじでうまいです!」と絶賛してくれたのです!「ほんと〜うれしいなあ」と思った時の幸福感、今でも忘れません。

人にご飯を作ったなんて、この時が最後になったかもしれません。今は毎日作ってますが、一人で食べていて、たまにお味噌汁を作った時はこの時のことを思い出してしまいます。

 

吹奏楽班を引退した時、最後の「定期演奏会」の時は、1年、2年の「低音チーム」のみんなが僕に花束を渡してくれました。

僕はもう、ボロボロ泣いてしまいました。ありがとうありがとう。って。

「嬉し涙」を流したのは、あの時が最初で最後だったかもしれません。

 

その後、なんと「あっくん」と再会することができました。しかも東京で。

彼は東京で立派な公務員的な仕事に就いていました。もちろん変わらなくて、「たっくん」は長野で働いているとのことでした。新宿で、ご飯を食べました。

そして僕の状況を伝えました。そして「音楽はもうやってない」と伝えて「なんだか以外です。高木さんが音楽をやらないなんて」と言われたのが記憶に残っています。

 

その後、連絡を取り合うことはなく、疎遠になってしまいました。

あまりに美しすぎる思い出なので、忘れられないのですが

思い出は思い出のままにしておくのがいい、のかもしれません。

 

クラシック音楽のブログ」なのに、なんか私的な思い出ばなしですみません><

今後なんとかしますー

ではおやすみやまうらくん

吹奏楽での学生指揮者体験

高校生になると「学生指揮者」という立場があり、近くの高校の吹奏楽部では、その人達が必ずいました。

僕の同じ学校の先輩で違う高校に行った金井勇先輩は、2年の時の演奏会で学生指揮者をやっていました。3年生が正規の学生指揮者で、2年はサブとしての就任だったようです。

「僕も指揮者になるんだろうなあ」と思っていました。

自惚れと言われても仕方ないですが、僕以外にやれそうな人がいなかったからです。

高校1年の時には3年生の、サックスのキレイな女性の方が学生指揮者でしたが、カリスマ性のある方で、すばらしくまとめていて、顧問が使えない爺だったので、頼りになる存在でした。

そして高校1年生、3年生が定期演奏会を引退した後に、パーカッションだった女性の2年生の人が、学生指揮者に就任しました。

が、その人は指揮が合わなかった、または指揮よりパーカッションをやりたかったのか、苦悩の末、部を止めてしまいました。

そこで、後をどうするか。2年生は人数が少なく、適役がいない、ということで僕が学生指揮者になることになりました。1年生なのに。3年まで学生指揮者。

 

中学でも、校歌を演奏する時に指揮をしたり、そういう経験があったのですが、やはり高校生となると、いろいろ違ってきます。しかも歳が上の人がたくさんいるのです。

「でも、やるしかない」と思って、思うようにやりました

 

変わったことといえば、スコアを与えられるようになったこと。スコアは中学生の時から音楽室に置いてあったものを見ていたので、1ページに何段もあるものを読むことは抵抗はありませんでした。

しかし、「どうやったらもっと良い演奏ができるのか」「その指示をするのか」というのはさっぱりわからず、結局最後までわからなかったです。あまり良い指揮者じゃなかったかもしれません。結構諍いというか、揉めてしまうことがありました。

ある日、全体練習を始めようとすると、みんなの様子が違います。僕の態度に関して文句あったようで、それを指摘されて、「じゃあ、退部します」と音楽室を出ていきました。指摘されたことは事実だけど、僕としては言い訳があったのです。

でも、もう辞めるんだ。泣きながら自転車を漕いで、家に返った記憶があります。あーなんか映画みたい。。。なんてねあアハハあ

 

そして、放課後もやはりやることがなく「マンガ部にでもはいろうかな」なんて考えていたら、サックスで後に副部長になる女性が教室にやってきて「やっぱり戻ってきてほしい。みんなそう言ってるから。」と説得してくれました。「ありがとう」といって、素直に戻りました。ちょっと照れくさかったけど、久々の指揮にみんなの演奏が、いつもと違って本気を感じたような、気がしたのです。これは今、書いていて「そういえばあの時の演奏はすごかった」と思い出しました。なんてことだ。泣きそうです。現実なのに、映画より泣けます。現実だから、泣けるんですよね。

 

そんなこんなで、新しく体験したことといえば、「自分でアレンジした曲を演奏したこと」です。中学時代でもあったのですが、あれは校歌のアレンジでした。

ちなみに高校でも校歌のアレンジをした記憶があります。

 

どんな曲をアレンジしたのかは、また次にします!

ここまで読んでくれてありがとうー

おやすみ間宮芳生さん(高校3年生の時に吹奏楽コンクールの課題曲で演奏した『ベリーを積んだらダンスにしよう』の作曲の方の名前です。名曲です!)

自己との会話

soundcloud.com

下手くそなピアノですがサウンドクラウドにあげました。

ほんとうは「おやすみプーランク」ということでプーランクの曲を弾いてあげようかなと思いましたが、挫折しました。

でもなんとか練習して、おきかせできるようにしたいです。

まだブランクがあるので、過去に弾いた曲のほうが良いかもしれないです。

でもブログ名がプーランクなのにプーランク以外弾いても意味がない

なんとか頑張ります。「エディット・ピアフに捧ぐ」と「愛の小径」の楽譜は手に入れました。あと「バラード第1番」ですね。この曲は絶対弾きたいので練習します。

 

このブログに、アクセスしてくれる人がいる、という奇跡が本当に嬉しいのです。

本当です。

今後も続けますので、よろしくお願いします。

「自己との対話」について、自分のもう一つ、4つめ(多すぎですね)のブログがありまして、そちらでも書いてますので読んで下さい。

前にはてな、この場所でやっていたブログもそこで記事を復活させました。

よかったら読んで下さいね。

それではおやすみ珈琲伯爵。

blog.livedoor.jp